自己紹介
1975年5月 トロント・カナダで生まれ育つ。 親はトロントで日本食料品ビジネスを展開。 6歳からトロントの道場で剣道を始める。 現地の小学校に通うが、日本人が一人もいなかったため、「誇張」という概念を覚える。 Kevin: 「俺、忍者なんだ!」 (適当に空手ポーズをとる) カナダ人ども: 「Oh〜、NINJA!!」 (尊敬のまなざし) 皆Kevinの僕(しもべ)となる。 1991年9月 高校時代はニューヨークで過ごす。. 北米初の高校剣道部を創部。初代剣道部主将に。 3年の時には東アメリカ剣道選手権大会団体優勝。 空手部、柔道部、コーラス部にも所属。 1995年4月 日本の大学に入学。 剣道サークルに入り、剣道に没頭。 しかし夜は六本木の怪しい外人○○○ッ○クラブでアルバイト。 就職活動の時期に入り、この怪しいバイトをやめる。 就職活動終了後、渋谷で英会話講師のバイトを始める。 ちょうど6年後、この英会話学校の社長が夜逃げをし、新聞やニュースに出るなど、大騒ぎ。 1999年3月 卒業旅行に仲間と共にインド旅行へ行く。理由は今しか行けないから。 法定伝染病である腸チフス+コレラの合併症にかかり、生死をさまよう。両親は医者に「今夜が山場です。生還しても、脳に障害が残る可能性が。。。」とおどされる。 そして、医者の警告通り、いまだに脳に障害が残っている。。。(合コンネタ。はい、ここで爆笑) 内定先の会社の研修をインドでやる夢を見て、目が覚めても夢と現実の区別がつかない。私の病状を心配をした会社の人事から病室に電話があったので、その人に直接聞いてみることにした。 Kevin: 「あのう、ひとつ聞いても良いですか?」 人事: 「良いよ!」 Kevin: 「インドで研修なんかやってないですよね?」 人事: 「。。。やってないよ?」 Keivn: 「そうですよね!ありがとうございます♪」 人事: 「。。。」 その時、初めて私の病気の(脳の?)やばさに気づいたらしい。。。 1999年4月: どうせビジネスをするなら、世の中のプラスになる事をしたいと社会正義に燃えてた私は、大学卒業後、環境ビジネスに携わっている会社に入社する。そう、心配をして病室まで電話をくれたあの会社である。 最初は経理課に配属される。 1万円振り込むところを間違って100万円振り込んでしまう。多分「00」のボタンを間違って押してしまったのだろう。大した話ではない。 激怒した課長に相手先に電話しろと言われたため、素直に電話した。 「多めに振り込んどきましたんで。。。」 当然、始末書を書かされる。 こんな調子だったため、経理課を首になり、何を血迷ったか、次は経営企画室に配属される。 一部上場企業の創業者であり、社内では神様のような存在である社長が海外出張に行くという事で、通訳としてついていく事になった。 が、出発当日にパスポートがないことに気付き、結局行けず。秘書と常務の青ざめた顔ときたら、いまだに忘れられない。。。笑っていたのは社長だけだった。。。多分。 経営企画室長で常務ともあろうお方が、気が動転したのか、どうにかしてパスポートなしの私を出国させようと、成田エクスプレスで移動中、色んなところに電話しまくってた。どこに電話してたかは謎。が、当然無理。常務は肩を落として、社長のいるグリーン車に向かい、「やっぱり無理です」の報告をしに行く。 社長のお言葉: 「当たり前だ!総理大臣じゃあるまいし。」 さすが社長。。。 当然経営企画室も首になり、次はドイツ企業との合弁会社に出向させられ、本格的に環境ビジネスに携わる。三年かけて、日本で初めてバーゼル条約(有害廃棄物の越境移動に関する国際条約)にのっとってリサイクル用に水銀を国外に輸出するなど、どうにかMBAのエッセーのネタになるような実績をあげる。 プライベートでは、社会人になって初めて急性アルコール中毒というものになり、救急車で病院に運ばれる。友達の誕生日会でテキーラを10杯以上飲まされたのが原因。 病院で、怖〜い看護婦さん(多分彼氏いない)に往復ビンタをされ、起こされる。 まだ居酒屋にいると勘違いしたのか、私の口から最初に出た言葉が。。。 「すみません、ささみ三つお願いします!」 「さ〜さ〜み〜!?」 (看護婦:ただでさえ怖い顔が般若に変身) Kevin、般若の顔をした看護婦にマッハビンタをくらう。 再度失神。 とまぁ、貴重な経験をたくさんさせてもらい、充実した社会人生活を送る。が、次第にEntertainmentを通して世の中に変化をもたらしたいと考えるようになり(また、芸能人とお知り合いになりたいというミーハーな自分に素直になり)、MBA受験という過酷な道のりを歩み始める。 と同時に、いつの間にか仲間とKevin Agencyを立ち上げ、密かに活動中。 2005年1月 念願のUCLAのビジネススクール(Anderson)に合格! こんなんで良いのか?と思いつつ、めでたくHollywood進出へ一歩近づく。 2005年3月 ブログを開設 2005年8月 10年強住んだ日本を遂に退去、出国。 まずは実家のトロントに帰省、充電する。 2005年9月 念願のUCLA Anderson School of Management 入学。 ハリウッド進出伝説始まる。。。 (その後) 2007年6月 ビジネススクールをなんとかギリギリの成績で卒業するも、ハリウッドのエンタメ業界で働くというこだわりを捨てきれず、二ヶ月間は無職で、就職活動を続ける。 受けるところ、すべて全滅。 2007年8月 次月の家賃が払えない状況にまで追い込まれたそのとき、某メジャースタジオに勤めてるMBAの同期から連絡があり、日本語と英語が話せて、ファイナンスができて、エンタメのこともわかっている人を探しているので、面接をしないか、とのオファーが! 面接をうけ、無事、期間限定の契約社員として採用される。 なんとか、次月の家賃が払える状況に。 2008年3月 契約社員として雇われるも、ビザの関係で、正社員としてスポンサーしてくれる就職口を引き続き探さなくてはいけなく、契約社員をやりながら、就職活動を続ける。 が、2008年1月に大規模な脚本家のストが起こり、ハリウッドは大混乱に。 スタジオはすべて、正社員の雇用を凍結!!! この影響でどこも雇ってくれない状況に。 ビザスポンサーとなると、なおさら状況は厳しく、厳しい就職活動が続く。 2008年3月 3月中旬になり、4月1日のビザ申請の申し込み開始日が近づく。この時、一日でビザの枠が埋まってしまい、抽選になるので、4月1日に申請書を出さないと、アウトの状況。このため、申し込みの実質的締め切りが4月1日となる。 もう、日本かカナダでの就職を考え始めたころ、なんと、友達に、自分で会社を興して自分にビザを発行したということを教えてもらう! そんなウルトラC級の技ができるのか!?と、急遽その友達の弁護士を紹介してもらう。 弁護士に 「君の場合はできる。」 といわれ、 「ほんとかよ!?」 と思いながらも、もはや、彼を信じるしか道はない状況にまで追い詰められていたため、次の日、早速オンラインで会社を設立。 会社の設立書類を、締め切りの前日の3月31日に弁護士事務所に持って行き、弁護士に、次の日の当日着で郵郵送するから安心するように、と言われる。 申請は少なくともギリギリセーフ。 次は抽選だ。。。 2008年4月 抽選は、3分の2の確立であたるとのこと。 3分の2って言ったら、めっちゃ中途半端やん! と思ってしまう。」 ながーい、ながーい、抽選結果待ちの時間が経過する。 一ヶ月たったあと、弁護士から一行のメールが。 「一行だけかよ!?」 とFreak outするKevin。 しかし、内容は 「抽選受かったよ。これから審査が始まる。」 とのこと。 「よかったぁ!!!!。。。でも審査かぁ。。。」 とまた、上がっては沈むという、精神的なローラーコースターにのる。 審査が果たして通るのかなぁと、非常に不安な待ち期間がまた始まる。 一ヵ月後、弁護士からまた一行メールが。 「また一行かよ!」 と突っ込みまくりながら、しばらく内容が見れないKevin。 恐る恐る、メールをクリックすると。。。 「審査、受かりました」 との内容が。 「いよぉっしゃあああ!!心臓に悪いぜ、この野郎!!」 って感じの勢いでした。 身なりは怪しくても、ちゃんと、腕のある弁護士だったのねと、改めて感謝&尊敬。 ビザの件も一件落着したところで、コンサルティング部門とともに、前から興味のあったタレントマネージメント部門をたちあげ、ロスにベースをおく日本人タレントのマネージメントを始める。 そして、ハリウッドで帝国を築き上げるべく、Kevin Agency伝説は続く。。。
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